組織は本当に「属人化」を排除しなければいけないのか?

組織は本当に「属人化」を排除しなければいけないのか?

「仕事の属人化を排除しましょう」という話がある。

たしかに、日々の業務の中で「この人にしかできない」「あの人に聞かないと進まない」という状況は、一歩間違えればラインがストップしかねない危険があり、そういう仕事については、もちろん共有知化されなければいけないと思う。

だが、たまにクリエイティビティや高度な匠の技が求められる仕事においても「属人化の排除」が錦の御旗のように掲げられ、平準化が進められるのを見る。で、もともとゼロからイチを立ち上げる仕事をしていた人とかが「あなたの仕事をみんなができるようにしてください」といわれ、疲弊したり、アホらしくなって辞めていくみたいなケースだ。

もともと、仕事というのは、極めて属人的なものなのではなかろうか。たまに「属人性の排除」を掲げながら、「イノベーションを生み出す組織を」と掛け声をかけているのを見るが、無理。というかそれ、真逆じゃね?

というモヤモヤがあり、

仕事は属人化しちゃいけないとか、
組織には共通言語が必要とか、
えこひいきはダメで、公平性が大事とか、

いろんな常識がぶっ壊れ始めている。

とSNSに投稿したところ、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』著者である山口周さんから、

その命題って全部システム側の要請ですよね。システムに従属する個人側の要請は真逆ですよね。属人化しないってことはコモディティ化するってことですし、えこひいきするっていうことは気の合う仲間と仕事するってことですからね。全部ひっくり返りますよ、近々。

というコメントをいただいた。うう、なんという言語化力。

「属人化の排除」が錦の御旗だったのは、20世紀が高度な工業化社会だったことによるのだろう。自動車や精密機械の工場では、たしかに属人化は極力排除されなければならない。

けれども一生懸命に属人化を排除した結果、工場は無人となりつつあり、ロボットが精緻なオペレーションをするようになった。そりゃそうだ。究極の属人化の排除は、人間さえいらなくすることだろうから。

工場のみならず、飲食店やホテルにもロボットが導入されつつある中、これからやってくるのは、ものすごく「属人化を追求する社会」なのではなかろうか。

これまでは、会社という枠組に個人を当てはめてきた。だから、個人もまた、代替可能であることが求められてきた。Aさんの仕事は、Bさんが同じようにできることが重要だった。

けれども、個人というのは、そもそも代替不可能な存在であるはずだ。

この仲間と働きたいと思うこと。そこからビジネスを生み出していくこと。

平準化されたパーツとしての個人ではなく、天才もバカも変態もいて、そのデコボコが価値を生み出していくということ。

組織に属しているにせよ、個人で働くにせよ、働き方も発信も、極めてパーソナルなものになっていく。どんな言葉を発するのか、何ができるのか。それはインターネットというものが、極めてパーソナルなものの集合となる性質を持っていることも関係しているのだろう。匿名であるにせよ実名であるにせよ、「個」であることを要求するからだ。

仕事の「属人化」こそ最高な時代がやってくる、気がしている。