これからの「密」と家の間取りと「サザエさん」消費社会

これからの「密」と家の間取りと「サザエさん」消費社会

東京から鎌倉に引っ越してきたのはコロナ禍の2年前。最近では、会社がテレワークになったので自分も移住を考えているといって、移住先の候補のひとつとしてヒアリングされることが増えた。

鎌倉に住んでいいなと思うことは、なんといってもまちや自然の美しさ。朝靄にけぶる海、広大な夕焼け、季節ごとに色を変える山の稜線を見ていると、細かいことはどうでもよくなってくる。食べ物もおいしい。朝どれのしらすを直売所で買ったり、市場(通称:レンバイ)で農家さんから野菜を買ったり、それからなぜか個人経営のお米屋さんがやたらたくさんあって、その場で精米してくれるのも魅力。

「なんか不便なことはないの」と聞かれる。たくさんある。

江ノ電は12分に一度しかこない。極端に少ないわけではないけど、3分に一本山手線がくる環境から越してくるなら意識の切り替えが必要だと思う。お店はたいがい夜が早い。大箱の映画館はない。Uber EATSは2020年8月までなかった。24時間営業のスーパーなんてものはない。流しのタクシーもない。鳥貴族で飲んでとんこつラーメンでシメて、みたいな生活をするなら繁華街に住んだ方が満足度が高いと思う。

コロナ禍で「NO密」という言葉が生まれたが、つくづくと思うのは、文化や利便性というものは密から生まれるということだ。

たまに都市部から田舎に移住すれば「安くておいしいお店があるんじゃないか」という話を聞くけど、逆だと思う。一日に500人くる店と50人くる店があったら、500人くる店の方が往々にして値段は安いし、周囲に店がたくさんある方が競争に揉まれている分おいしかったり、サービスもよかったりする。店の選択肢も増える。一年に一回しか食べないような珍しい料理やマニアックな料理を出しても採算が合うのは、それだけたくさんの人口がいる都市だからだ。密であること、つまり駅の乗降者数が多いほど、そのエリアに出店する人が増え、競争が生まれて、規模の経済が効くようになる。あたりまえだけど。

では、都市が「密」を禁じられたら、どうなっていくのだろう。

人口そのものが急激に変わるわけではないから、どこかに別の「密」が生まれることになるのだろう。山手線で通勤する「密」が減る分、自宅でテレワークする人が増えたり、オフィス街のレストランが閑散として、住宅地のスーパーマーケットが混雑するというように。

家の間取りというのは、時代とともに変わるという話を聞いたことがある。江戸時代、台所は玄関を入ってすぐのところにあった。今みたいに蛇口をひねれば水が出るわけではないから、その方が便利だったのだろう。洗濯物は共用洗濯場に持って行って、ざぶざぶ手で洗っていた。上水道が整備されて、台所やダイニングルームが家の奥の方に移動していく。

いまマンションの広告を見ると、テレワーク対応の書斎をつくるプランを謳ったものが多い。これまでは通勤定期券が支給されて、毎日ターミナル駅を通って、駅のまわりでごはんを食べたり、洋服や雑貨を買ったりしていたし、休日も定期を使って遊びに行ったりしていた。人通りが多いところにショッピングビルをつくって、電車内の吊り広告で情報発信して、それで巨大な消費が生み出されてきた。でもテレワークが増えて、定期券の支給を廃止する企業も増えている。

なにが次の「ターミナル駅」になるんだろう。どこに「密」が生まれるんだろう。朝起きて自宅で仕事して食事して、という人たちが増えれば、半径数キロメートルの経済圏での消費が増えていくのだろうか。近所のお店から出前をとって、お酒を配達してもらって、お花が届いて、ちょっと贅沢なディナーを楽しむというように。書斎ができて、あるいは客間みたいなものが復活して、そこで打合せしたり宴会したり、そんな間取りがあたりまえになるのかもしれない。

なんか「サザエさん」に出てきそうな風景だ。三河屋さんが御用聞きに来てくれて、ご近所のコミュニティがあって。「サザエさん」消費社会になってくれないものか(願望)。

もはやリアルで御用聞きする必要はないのだから、農家さんにLINEで野菜の注文できたり、地元の漁協がL個人宅に注文とって届けてくれたり、おいしいコーヒー屋さんがサブスク始めてくれたら、ものすごく豊かで楽しいと思うんだけどな。